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医療分野における産業化と国際化の意義

大阪大学 大学院医学系研究科
医療経済産業政策学 田倉智之


【キーワード】 医療の持続性、イノベーション、バリューチェーン、先端医療の開発

  1. はじめに
     我が国の疾病負担をさらに改善させ、国民の健康・福祉の向上を目指すには、新たなシーズに基づいた先端医療等の研究開発を意欲的に推し進め、革新的な医療技術や診療戦略を臨床現場において効率よく普及させることが望まれる。  
     ただし、それらを具現化していくためには、医療を下支えする産業振興や経済成長についても配慮が求められる。また、昨今の研究開発の枠組や医療製品の流通の実態を踏まえ、世界的な潮流にある海外展開も視野に入れた議論や取組も重要と考えられる。
     本稿では、医系大学や医療機関等が国際的な取組を行う意義について、医療産業の推進の観点から論述する。特に、医学の発展には産業振興が不可欠であり、その一環で医療の国際化を論じることは意義があるのを、バリューチェーンの機序から解説する。
  2. 医療分野の発展には産業振興が不可欠
     医療システムを持続的に発展させるには、社会資本を積極的に投下する必要があるものの、その原資の多くは、医療とは直接関係のない経済活動から捻出されている。例えば、医療機関の経営活動と関係の深い診療報酬の動向を眺めると、国内総生産(GDP)等の経済基調の及ぼす影響が明らかとなっている1)。つまり、財政均衡(financial balance)と呼ばれる作用等によって、医療分野へ流入する社会資本の規模は、国全体の経済状況に左右される傾向にある。
     そのため、医学領域の進歩を促すには、他分野の産業の活性化のみならず、医療自体も産業として成長することが望まれる。ちなみに、産業とは「各種活動によって財貨等を生み出すもの」と定義される。先端医療等によって患者を日常生活に戻すことは、下記に示すように社会経済的な価値を創出するため、医療も産業の一つとみなすことができる。今後は、産業振興も含む広い視野で、診療活動等の意義を再認識することが望まれる。
     一般に、先端医療等が開発・応用されることにより、新たな治療効果が期待される。特に、選択できる療法が無い疾患領域で、その社会的な貢献は大きなものがある。また、健康改善の一環として、社会復帰による労働生産性の向上や介護負担の軽減等の社会経済的な効果も期待できる。さらに、この新たな価値創造に国際競争力があれば、医療関連市場も拡大し雇用の受け皿も拡がることになり、保険料や各税収等の増加によって将来の医療保険財源の基盤の安定化にもつながる(図1)2)
     また、付随的に病院経営の基盤強化にもつながり、その結果として、患者の健康改善がより一層進むことも考えられる。さらに、医療機関が積極的に先端医療の臨床研究に参加し、関わる医療技術を広く活用することで、次世代の先端医療の創出機会を生み出すことになり、循環型のバリューチェーンの仕組みが完成すると推察される。

    (バリューチェーンの仕組み:先端医療分野の活性化による実体経済の拡大が国民皆保険制度の持続を促し、病院経営の基盤強化が進むことで、国民福祉の向上と次世代研究の創出が期待される。医療の国際化はその流れを強化する)
    出典:田倉智之. 産業政策としての先端医療. 病院 より改変

  3. 医療産業の振興には国際化が望まれる
     従来、地域性が強かった医療分野も、最近は全国や海外との関係が総じて大きくなっており、世界とのつながりに関して著しい変化がみられる。
     すなわち、地域医療を支えるスタッフの育成・配置や病院施設・経営資本(医療財源や各補助金など)、さらには診療に不可欠な医薬品・医療機器等の製造・供給は、特定のエリア内で完結することが困難となりつつある。特に、公共分野における各種インフラの整備が進んだ結果、ヒトやモノ、および情報や資源の流動性が高まり、今後は受益と負担のバランス等についても、より多面的な枠組みから検討が望まれる。
     そこで、医療分野で国際化を進める意味を、産業振興や経済成長の観点から整理する。
     一般に、成長戦略の一環として国際化を図る意義は2点挙げられる。一つ目は、「海外の経済成長の取り込み」である。これは、所得水準の上昇する地域に対して、医薬品や医療機器等の輸出や投資を一層拡大させることで、国内での所得増加を期待するものである(アウトバンド)。二つ目は、「貿易拡大による生産性向上」である。これは、海外の診療需要を取り込んで、国内の診療機能をさらに有効活用する概念である(インバウンド)。いずれも、我が国が優位性を持つ医療技術(例えば内視鏡医療や粒子線治療等)の存在が前提となる。
     なお、1980年代の欧州では、国の科学技術政策と産業発展との関係に着目し、イノベーションを支える国のシステムの意義を論じた「ナショナル・イノベーション・システム」3)が提唱されている。これは、経済成長と技術進歩との関連性に係る理論的研究等を背景に、革新こそが産業の国際競争力の源泉であると同時に、健全な経済成長に不可欠であるとみなす考え方である。前述の国際化の意義も、この流れを汲んでいる。
  4. 医療分野の産業化と国際化のケース
     ここでは、iPS細胞等で注目を集める再生医療技術の臨床応用による市場価値の増大を推計した報告4)を紹介する。金融工学(DCF法:Discounted Cash Flowとリアルオプション法)の手法等を応用して、前臨床試験のステージにあるプロジェクト(心臓、腎臓、肝臓、膵島、関節・骨、眼、皮膚、神経等)の状況から、専門家が予測する臨床応用の時期となる15年後の再生医療の市場成長について試算している。分析の要素は、経済基調(株価・金利の変動)、疾病動向(人口動態・罹患率の変動)、機能要件(費用対効果の期待要素)、市場価格(公的保険の医療費・収載単価の影響)とし、これらを含めて多変量のモデルを構築している。
     また、事業を続けるかどうかの判断を行うオプション条件は、参入段階(前臨床試験から、臨床試験/治験、薬事承認・保険収載の3段階)とし、権利行使価格(開発・運用の費用合計)をコール・オプションの要素に入れた設定となる(図2)。世界全体を対象とした算定結果によると、事業価値(投資と回収の差)は、期待値としてプラス4.2億US$となっている(プラス確率は約43%)。一方で、公的医療費への影響も試算しており、治療効率の改善で約2.5千億円/年の負担軽減があるとしている5)
     一方、我が国でも、医療分野を産業として国際的に競争力を高めようという政策(例:成長戦略進化のための今後の検討方針−産業競争力会議)6)があり、民間企業や医療機関による医療分野の輸出を後押ししている。例えば、先端医療の需要が増している中国・ロシア・ベトナム・カンボジア等に、病院診療と医療機器をセットで提供する「病院の海外輸出」「医療のパッケージ輸出」が進められている。政府の目標では、病院輸出と医療観光により2020年までに1兆円の経済効果、5万人の雇用創出を達成することになっている。

    (事業価値:Capital Value - Cumulate Investmentは、約43%の成功確率で全体の期待値は+0.42(US$_billion)となり、一定のリターンが期待できる)
    出典:Tomoyuki Takura, BIT's 7th Annual World Congress of Regenerative Medicine より改変

  5. おわりに
     制度設計等で先端医療が耳目を集めるのは、国民の健康をより一層改善するのと併せて、将来の医療保険財源の原資を確保することになり、創出される社会経済的な価値の大きいことが理由として挙げられる。そのため、バリューチェーンを背景に医療を産業として論じることは、一定の理解が得られると推察される。
     なお、産業振興を背景とした先端医療の開発は、病院経営の基盤強化にも貢献する可能性があるものの、先行投資や運営資金等の負担(経営リスク)を軽減する政策も必要になる。すなわち、バリューチェーンの中で国民全体が受益と負担を共有する仕組みを作ることが、先端医療をシステムとして産み育てるために重要な論点となる。
     グローバル経済の現代において、各産業の国際競争の優位性の確立は、その国の実体経済や社会保障にとって、これまで以上にその意義を高めることになる。すなわち、国民福祉の最大化を前提に、医療分野も国際化を進め、海外の経済成長の取り込みや貿易拡大による生産性向上を図ることが期待される。

<参考文献>

  • Hideki Hashimoto, et al. Cost containment and quality of care in Japan: is there a trade-off ?. Lancet, Vol.378 Issue 9797. pp.1174-1182. 2011
  • 田倉智之. 産業政策としての先端医療. 病院. Vol.73 No.7, pp.528-533, 2014
  • Richard R. Nelson. National Innovation Systems: A Comparative Analysis. Oxford University Press. 1993
  • 田倉智之, 他. 再生医療の医療経済学. BIO INDUSTRY. Vol.26 No.7, pp.6-14. 2009
  • 再生医療実用化で医療費2500億円節約. 読売新聞−朝刊. 2012
  • 産業競争力会議. 成長戦略進化のための今後の検討方針. 内閣府. 2014

< 備 考 >

・ 本稿は、「大阪大学医学部学友会誌(第34号)」における生涯教育講座の執筆内容の一部を転用している

平成26年8月30日